近江への遷都で、国境を越える旅に就いた今「別れたくない」と「山」に繰り返して哀惜の情を表し、大和の守り神を慰撫 いぶ する公の行事に披露された歌と考えるべきだろう。
何度も眺めやりたい山なのに、無情にも、雲が隠すなんてことがあってよいものだろうか。 なぜなら、天智天皇に向けて次のような 歌を詠んでいるからです。
【主な派生歌】 あかず見し千種の花もうつりゆきて紅葉になげく秋の暮かな 青きをばおきてなげかん陰もなしそむる千入 ちしほ の岡のもみぢ葉 山見れば雪もけなくになかざりし鳥こそきなけ春来たるらし そめざらんものとはなしに秋山の青きをおきてなげくころかな 額田王、近江の国に下る時に作る歌 味酒 うまさけ 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の 際 ま に い隠るまで 道の 隈 くま い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見 放 さ けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや (万1-17) 反歌 三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや (万1-18) 【通釈】 [長歌] 三輪の山は、奈良の山々の山間に隠れるまでも、道の曲り目が幾重にも重なるまでも、つくづくとよく見ながら行きたいのに。
そんな切なさが、狩という開放的な雰囲気に接して、昔の思い出を呼び寄せたのかもしれない。 次は三首のうちの二首目。
萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く(2231) 野辺には萩の花が咲き、ひぐらしのなく声が聞こえる、そんなところに秋の風が吹き渡ることよ、と言う趣旨。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。 君 きみ 待 ま つと我 あ が恋 こ ひ居 を れば我 わ が宿 やど の簾 すだれ 動 うご かし秋 あき の風 かぜ 吹 ふ く 万葉集 四・488番、八・1606番 訳:あなたを恋しく思いながら、訪れを待っていると、我が家の簾が動きました。 時ニ大皇弟諸王内臣及ビ群臣皆悉ク従ヘリ。
10ただに女性らしき繊細さに溢れていたというにとどまらない。
萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く(2231) 萩の花の咲いている野辺にひぐらしが鳴いている、その声にあわせるかのように秋の風が吹いている、という趣旨。
8次の歌は、その典型的なものだ。
実は、この二人は若い頃に結婚し、子まで設けていた間柄なのである。