翌1952年『死の街を脱れて』でスクリーンデビュー、明るく庶民的なキャラクターで注目を集め、雑誌の人気投票やブロマイドの販売数で一位を獲得するなどトップスターの仲間入りを果たします。 そして着物がとても似合い、海外では未だに人気が高いのが納得です。 独特のテーマ音楽や溝口健二の厳しい演技指導を受け、難役を演じきった若尾文子の演技にご注目ください。
3また、旦那の黒川紀章さんとは再婚同士の上、略奪婚だったようですが、おしどり夫婦としてとても仲が良かったようです。
プロポーズの言葉は「君はバロックのような女性だ」。
ところで「スチュワーデス物語」の生みの親であるのならば、増村はドラマ「半沢直樹」シリーズ(2013年)の曾祖父さんくらいの存在であると言えなくはないだろうか。 ちなみに、長谷川さんは、 学校を卒業してからいらっしゃいね と、言われたそうですが、この話はそれっきりだったそうです(笑) 「大映」の第5期ニューフェイスとして その後、いつ頃かは分かりませんが、若尾さんが東京に戻られると、お姉さんのご主人が 「大映のニューフェイス」の募集を見て、若尾さんの写真を勝手に送って応募されたそうで、若尾さんは見事合格し、1951年、 「大映」の 「第5期ニューフェイス」として、 「大映」に入社。
普通だったら、無理やりにでも聞くんでしょうが…。
『青空娘』は逆境に負けず明るく生きる少女の爽やかなシンデレラストーリー。 長く同棲を続けながらも秘められていた、世界的建築家黒川記章との関係は、お互いが50歳を迎えることもあり、1983年に入籍し正式な夫婦に。
14(1925年)• 「刺青」では、背中に彫られた女郎蜘蛛の刺青に導かれた若尾文子の壮絶なラストシーンに、「卍」では、同性愛に陥った下着姿の若尾文子の悪女ぶりに要注目です。
1963年にデザイナー西館宏幸と結婚したが1969年に離婚した。
『男はつらいよ』でもアンタッチャブルなマドンナだった若尾文子! 『男はつらいよ』(1969~1995年、2019年)の全作品を鑑賞しようと思い立ち、一作目から順番に見ていった。
81951年、大映第5期ニューフェイスに合格。